私の一番長い日

 釣れないことをボウズという。「釣れ る気がない」から「毛がない」となってボウズとなる。オデコともいう。「いやぁダメだったわ」って照れ隠しにオデコをピチャンと叩くから。私の腕はたいし たことないから、ボウズもオデコもよくあることだ。一々気にしていてはテンカラなどやっていられない。明日があるさってコマーシャルの文句じゃないけど、 常々そう思っている。しかし、明日はもうないんじゃないかと思える経験を最近した。
 とある河川の本流、どう見ても大物が潜んでいるに違いないポイントで痛恨のバラシをしてしまっ た。今までも痛恨のバラシを星の数ほど重ねてきたが、これほど脱力感を感じたことはなかった。バレた瞬間その場にへたり込み、膝がガクガクして足に力が入 らない。腰も抜けたような脱力感が襲ってきて、しばらく立ち上がれなくなってしまった。
 相手は尺アマゴである。いや、尺どころか35〜6センチは優にあっただろう。この川で40センチオーバー のアマゴが釣れるという情報は聞いていたので、このサイズがいても別に不思議には思わない。ただ、夢みながらも自分の毛バリにそのサイズが出ることはあり 得ないとも思っていた。
 ハックルを大きく巻いた毛バリを波に揉ませて沈めてゆくと、大淵の底から魚影がフワリと浮き、毛バリと一 緒に下がってくるのが見えた。いつ毛バリを食わえるのか、それとも見過ごすのか、この数秒間がとても長く感じられた。やがて相手は水中で体をユラッと反転 させた。毛バリを食わえた証しだ。少し間をおいてアワセをくれると根掛かりのような衝撃が手に伝わってきて、大きな飛沫とともに川面が炸裂した。すかさず 竿を上流に倒して両手でグリップを支え、腰を落として相手の力を受け止める体勢に入った。竿は限界までひん曲がり、ギイと音をたてる。ラインが風を切って ヒュンと鳴る。アマゴも激しく暴れたり突っ走ってみたりと暴力的な力を発揮してくる。この時、自分でも割と冷静だったと思うのだが、このやり取りの途中で 盛り上がった体高やサイズやパーマークの形などを確認できたし、毛バリが下アゴに掛かっていることまでハッキリと見えていた。ふと後ろを振り向くと、同行 していた大野さんがコンパクトカメラを取り出して記念写真の準備をしている。これは不様なことはできない。掛かってから2分ほど格闘を続けたろうか、じっ くり粘って空気を吸わせ十分に相手の体力を奪ってから緩い場所まで誘い込んだ。あとは取り込むだけだ。ハリスはフロロカーボンの1.2号だから切れる心配 はまずない。上アゴの硬いところにハリ掛かりしているなら強引に引っ張ってしまおうかとも思ったが、下アゴなので不安が残る。場所的に魚体をずり上げるこ とも困難だったし、下手に後ろへも下がれない状況だった。こうなれば竿を上流に寝かせながらラインを手元に寄せ、手繰って取り込むほかない。徐々にライン が手元まで近寄り、「よしっ今だっ」とラインを掴んだ瞬間、アマゴはクッと体をよじって毛バリを外してしまった!
 これをバラしたことは私の腕の未熟でしかない。タモがあればよかったのか、竿がもっと硬ければ よかったのか、もっと早くラインを掴むべきだったのか、それとももっと時間を掛けて取り込むべきだったのか。しかし、自分でやれることはやったのではない か。すぐにまた同じようなアマゴが食ったとしても、また同じようにバラすだろう。
 数分はその場にしゃがみ込んでいたろうか。ようやく気を取り直し、バレたヤツがまた掛かるわけはないさと 思い、ポイントを少しずらして毛バリを入れた。ほどなく次のアマゴが食ってきた。いい引きをしているし元気もある。しかし先ほどバラしたやつと比較したら 微力なものだ。取り込んでみると体高の張った本流アマゴ特有の体つきをしていた。たしかに素晴らしい魚体であった。いかつい顔も素敵だった。いつもなら小 躍りして喜ぶべき魚体だ。でも感動がイマイチ薄い。ゴメンねアマゴちゃん、なんだか今日は素直に喜べなくて。大野さんの手尺で測ってもらうと28センチく らいか。大きな手だがそこから余裕ではみ出している。でも尺はないだろう。メジャーを当てる気分にもならず、写真だけ撮ってすみやかにリリースした。
 次の日も同じ河川への釣行だった。石垣教授、田島さん、大野さんと出かけていった。皆さん楽しい人ばかり である。今度は山奥へ入っていった。渇水だが水は澄み、赤トンボが竿にポツリととまる。もう秋になるんだなぁ。ニホンカモシカがひょうひょうと餌を食べて いた。空は高く青空だ。心も晴れた。でもアマゴは出ない。川は沈黙していた。


大物バラシの翌日は快晴。この山奥はブナの原生林が残り、ツキノワグマの巣窟である。
写真は出陣前の石垣教授、大野さん、田島さん。
このメンバーだといつも爆釣・・・、いや爆笑釣行になる。


開けた河原でのんびりとテンカラを楽しむ石垣教授。
大水が出た後で岩が浮いて安定していない。この河原にもブッシュが多くあったのだが。


身を低く、岩と同じ存在になる石垣教授。
テンカラの基本がここにある。

   

テンカラ雑記目次へ

総合案内へ