木村一成写真事務所公式サイト アマゴンスキー on the web 2004年版 No.4

一日中毛バリを振ってはみたものの

 そろそろ秋風が肌に涼しく感じる9月のある日、釣友のサウスポー大野と連れ立って木曽方面へ出かけた。その日は三連休 の最終日とあって、川にも相当な数の釣り人が入って荒らされた後だろう。だから、人の影響が薄い朝マズメを狙ってみたい。二人とも早朝が苦手なタイプだ が、そんな理由もあって、珍しく朝7時からとある川へ入渓した。そこは川幅も十分で、ブッシュも少なくロングラインでも気兼ねなく振れる。大淵や早瀬にト ロ場が連続する。ここで釣れなきゃどこで釣れるという抜群の渓相をしている。
 
 しかし、例年と比べて水の質が違う気がしていた。石もどこか雰囲気が違う。二人とも釣れる気がしていない。案の定、小型の反応すら薄い。我々がその日一 番に入ったようで、先釣者の気配も形跡もない。後から釣り上がってくる人もいない。平日でもないのに他に釣り人を見なかったのだから、おそらく誰しもが実 績の上がらない場所と読んだのだろうか。それでも次々に現れる好ポイントをシラミつぶしに攻めていく。まったく流れは押し黙ったままだが、かといってその 川をあきらめることもなく4時間も釣り上がり、チビアマゴただの一匹のヒットもなかった。
 
 途中、水深のある大きな流れ込みで25センチ級のアマゴの反応があっただけだ。そのアマゴはほとんど一投目、毛バリが流れ出し付近まで流れたと思った刹 那、尾ビレで毛バリを叩くような激しい出方をした。明らかに警戒している様子で、毛バリを食いに出たわけではないようだ。おそらくその行動は脊髄反射のよ うなものだろう。食い気がなくとも毛バリに反応してしまう習性なのだ。流れ下る毛バリを見て追ってはみたものの、やはり口で食わえるわけにはいかぬと思い 直して尾ビレで叩いた、そんな印象であった。もちろん事の真意はアマゴに聞いてみないと分らない。その後もそいつは不可解な動きを見せた。毛バリを流れに 揉ませてゆっくり沈ませ、弛ませたハリスがU字を描いて最後は伸び切るような流し方をした時のみ反応を示す。こうすると流れ下る毛バリについて回り、水面 下50センチくらいのタナをせわしく動くのである。それ以外の方法では、誘いをかけようが逆引きしようがダメだ。幾度か妙な動きをした後は、ついにまった く無反応になり、毛バリをあれこれ変えてみても無意味だった。

 時間を置いて食いが立ったころに掛けるという手もあったが、そこまで執着する気にはなれなかった。負け惜しみかもしれないが、できるならそのまま誰にも 釣られることなく、禁漁まで生きながらえてほしいと心底思ったからだ。毛頭キープするつもりなどないが、ハリ傷などないまま産卵まで生き残ったほうがい い。アンタの勝ちだよ。

 そこではまったく釣れなかった割に気分は悪くない。一匹でも良型の存在を確認して安堵したからだろうか。川は死んではいなかったのだなぁ。知らぬ間に随 分と上流まで来てしまって、車まで歩いて戻るころになってドッと疲れがでた。
 
 しかし車へ戻ってから休憩することなく即座に次のポイントへと移動を開始。山道を行く車中で握り飯を頬張っていると、突然フロントガラスに大粒の雨が。 「木村さん、また降らせたねぇ」とサウスポー大野は大笑いしている。雨男の面目躍如だと彼は笑っているが心の中では呆れていただろう。

 目当ての場所へと到着したころには雨もやみ、かわりに強い陽射しが降りそそいでいた。この場所へはもう10年以上も入っていない。谷が深くゴルジュ帯で あり入渓に苦労する所である。その割には釣れた印象がないから最近は目もくれていなかった。しかし、谷底を見ると20代半ばのころの記憶が蘇ってきて、昔 はこんな場所でも臆することなく降りたんだなぁと懐かしさが込み上げてきた。


懐かしい風景。20代半ばのころはゴルジュもなんのそのだったが・・・

 よし、降りるか。アイコンタクトでサウスポー大野もガッテン承知の様子。とはいえ、岩盤を垂直降下するような若いころのような無謀なことをする気になれな い。慎重に入渓点を探ってみると、少し上流側に比較的降りやすいところがあるではないか。昔はそんなことにはまったく気付かず、降りたいと思ったところか らいきなり落ちるように川へ立ったものだ。

 谷底の大淵を目の前にして、ああこれだ、この景色だったんだと身震いがした。いったいどれほどの深さがあるか見当もつかない淵だ。真昼の太陽が静かな水 面を照らしている。じっと見ているとその深淵に吸い込まれそうになる。だめだ、釣れない、若かりしころに感じた気分と同じものだった。


かけあがりの向こうは底も見えないほど深くなっている。

 ほとんど何もすることなく谷から這い上がり、車でさらなる上流を目指した。御岳山の麓に広がる高原まで出ると、川は優しい表情を見せてくれるようにな る。里川になって入渓も容易で気分的にも楽になる。

 しかし9月の高原にしては暑い。時間は午後1時くらいだったか、陽射しは相変わらず強くてこんな時は釣りづらいものだ。それは承知だが休むということを 知らぬ我々は黙々と毛バリを飛ばす。もっと歳を重ねれば昼寝でもして優雅に夕マズメだけ釣ろうと考えるようになるだろうが、少しでも長く川に立ちたい、少 しでも多く竿を振りたいと思っているうちはだめだ。体は歳相応に疲労を訴えているが、心がそれを許さない。20代から比べれば幾分歳を取って賢くなった気 にもなっていたが、実はそれほど進歩していないのかもしれない。もちろんまったく釣れない。笑わば笑え。

 初秋の陽も傾き始めた午後3時、ひとつの川を中流域から上流まで転々としてきたが、ここまでノーヒット。やはり川を変えるべきだろう。「沢に入ろうか、 それなら少しは釣れるだろう」とポツリと言ってみた。でもサウスポー大野は頑固にそれだけは嫌だという。彼の気概は承知しているし元より自分も同じ考 えだ。仕掛けを竿丈と同じくらいにするような小さな川の魚は相手にすべきでない、というのが我々の信条でもある。とくにサウスポー大野はノビノビとキャスティ ングできる川しか興味がない。その心意気やよし!

 でも「もうちょっと反応が出る川にしましょうや」ということで、結局いつものボウズ回避の川へ行く。その川は経験的に釣れないことはない。昨年なら日に 数十匹というような大釣りもあった。今年はそんな景気のいい日に当ったことはないが、ボウズということもまずないだろう。「とりあえず魚の顔を見ましょう や」

 先ほどの川より幾分規模が小さくなるが、水質もいいし石に変なコケもない。ただし釣り人が多い。やはり釣れる川に人が来るのは当然だ。オーノさんが好き なポイントにはすでに3人のフライマンが張り付いている。そこは何かしら確実に釣れる鉄板ポイントであって、サウスポー大野が必ずいつも竿を出す場所でもあ る。だから我々は大野淵とあだ名をつけているくらいだ。さすがの彼もその淵はあきらめて他のポイントへ入ることに。自分もサウスポー大野が入渓したと ころから下流へと釣り下った。

 何度も通った川だ。流れも石の配置も頭に入っているし、どこでどのサイズが付いているかも見当がつく。だからというのではないが、いまひとつワクワクし ない。「勝算があるから釣れて当たり前だよな」と、ここまでまったく釣れていないくせに不遜な言葉が頭にわいている。

 河原に立ってジッと流れを見渡してみる。今の時間帯、この水量、あの流芯キワで小型イワナが出るはず。毛バリを2、3度流すと15センチほどのイワナが 掛かって手元まで飛んできた。やはりまだ良型はここに食いに出ていなかったか。

 もう少し下流のあの対岸近くの石裏、ブッシュが張り出しているポイント、水深もあるし今は良型が出るならあそこしかない。時間は3時半を回ったところ だった。こういう時と場所では大きな毛バリでは不利と思い毛バリを小さめに交換した。なぜならまだ食いが立っていないし、ブッシュを気づかって毛バリを入 れなければならないからだ。大きな毛バリだと、一投目のキャスティングがまずいと万事休すとなる。どうしてもこちらのミスが目立ってしまうのだ。小さな毛 バリなら、少しミスってもさほど向こうは気にしないのではないか。小さな虫を食っているから小さな毛バリという考え方ではない。完璧なキャスティングと流 し方さえできれば大きな毛バリでも問題はないだろう。だが、それほどの自信はないから少々のミスは相手に大目に見てもらえる小さな毛バリを選んだにすぎな い。

 そして一投目、ブッシュをかすめて対岸ギリギリの奥まで毛バリを入れる。石に沿って毛バリが沈み、やがてゆっくりと食い波に揉まれてゆく。30センチも 流芯キワを流れたころだったか、ラインの動きがフッと止まった。間違いない、居食いだ。頭の中で1、2とカウントしてからアワセをくれる。グンッと竿がし なってラインが張る。今日初めて味わうそれらしい引き、手応えからしてイワナだ。だが尺はなさそう。


う〜ん、色合いはそれっぽいけどヤマトイワナではなかった。

 取り込んでみると細いけど9寸はありそうなサイズ。しかし、やはりニッコウ系か。ヤマトイワナではなかった。木曽川漁協ではヤマトイワナの増殖に力をい れているようだが、まだまだニッコウ系のイワナが目立つ。釣れたのはいいが、少しの失望も混じって複雑な気持ちであった。それからは型も出ず30分ほど 釣ってサウスポー大野と落ち合った。彼も小ぶりなイワナを釣って笑みがこぼれた。

 さて夕方はどうするか。川を変えようか、などとまたしても心にもないセリフをサウスポー大野に言ってみる。ここでいいんじゃない、予想通りの答えが返ってく る。彼との釣行が気楽なのは、思考パターンが似通っているからだろう。同じ歳、同じ地域の生まれ、同じく黒澤映画のファン、同じ血液型、まあ血液型などは まったく関係ないが。


サウスポー大野は小さなイワナに苦笑い。こんなのばっかだねぇ。
 
 二人で前後を譲り合いながら釣り上がっていくと、堰堤のプールに一人のフライフィッシャーが降りてくるではないか。こちらの存在に気付か なかった のだろうか。いや、先行のサウスポー大野はプールの下数メートルにまで達していたのだ。見えないはずはない。我々に気付いたからこそ慌てて降りてきたみた い。 そのフライフィッシャーはイブニングライズを狙うつもりの場所取りか、石にどっかと座りタバコを吹かしてライズが出るまでじっと待つ構え。他人の釣りに文 句をいうつもりはないが、我々もちょうど活性が上がるころそこへ到着するよう、下流から時間を読んで釣り遡ってきたの だ。少々腹は立ったが挨拶ついでに声を掛けてみることに。そのフライフィッシャーは悪びれることもなくタバコをプカリとやりながら、チビしか出ない、この川 に大型はいるのか?、ドライじゃダメかなぁ?、などと聞いてくる。結局、瀬で毛バリにまとわりつく細かいアマゴやイワナを相手にして日が暮れた。

 朝から夕方まで、ほとんど休むことなく竿を振り続けてこのザマだ。名人なら釣れる時間に釣れる場所を狙うのだろうが、そういった優雅な釣りができるほど 人間ができていない。ずっと竿を振っていないと気が済まないうちは、まだまだ未熟だよな〜。もっともテンカラなんぞで人間ができる訳なんてありはしないの だが。

  

 テンカラ雑記目次へ

 ホームへ